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たった一つの太鼓。
たった一枚の皮でも、様々な音色が出る。
出るのでは無い。
演奏者が出すのだ。
“センスによっては”無限の表現が可能だ。
太鼓は生きている。
呼吸している。
魂が宿っている。
今日も大太鼓の前に立ち目を閉じる・・・。
「本日もどうぞ宜しくお願い申し上げます。」
「今日もケガも無く、最後まで宜しくお願い致します。」
「そして今日も素晴らしい演奏をさせて下さい。」
「今日も最高の音で“うなって”下さい。」
「全てに感謝致します・・・」
「・・・・・・・・・・」
(そして・・・)
「ドドーーーン!・・・・・」
と、入っていく。
楽器への会話・感謝を欠かした事は一度も無い。
もちろん、大太鼓に限らず全ての楽器、バチなどを含む全ての道具(機材)に対して同じ事を思う。
そして演奏後も同じように、楽器と会話をする。
家族と一緒だ。
恋人と同じ、イヤそれ以上に大切かもしれない。
和太鼓には楽器自体が持っている大きな特徴がある。
それは他の楽器よりも全然音がデカイ。
ヘタすると音楽を壊す。
芸術を破壊する。
そして、もともとなぜ音が遠くまで飛ぶような構造かと言えば、通信。
すなわち、野外などで意思の伝達に使われていたからである。
戦国時代には戦闘の合図に・・・。
そして、現在でも神社・仏閣などでは必ずと言っていいほど太鼓を使用している。
唯一「神様」と人間を結びつける神事に、深く使用されている。
今の時代は何でも壊れれば捨てる。
すぐに買い換える時代だ。
物に溢れ、贅沢に溢れて、大切な人間の心を失わせている。
太鼓とは神聖なるものだ。
太鼓を粗雑に扱う事は、樹木や牛に対してのみならず、「神」をも冒涜する行為である。
俺は今日まで、そして今日からも全く同じ気持ちで自分の愛する楽器と向かい合う。
当たり前だ!
だからこそ、自分の演奏に変化が生まれるのだ。
愛するものに敬意がなければ、今の自分はいない。
今年8月にゲスト出演した、「2007神宮外苑花火大会」 神宮球場での3尺5寸・大太鼓(長胴太鼓)演奏。
演奏中は常に「無心」である。
あとは、いつも冗談ばっかり言ってるけどね(笑)